category: 徳川吉宗
DATE : 2007/02/17 (Sat)
DATE : 2007/02/17 (Sat)
徳川吉宗は徳川御三家の紀州藩第2代藩主・徳川光貞の3男として生まれる。父と2人の兄の死後、紀州藩主を継ぎ藩財政の再建に努め、成果を挙げた。第7代将軍・徳川家継の死により徳川将軍家の血筋が途絶えると、先々代の6代将軍家宣の正室である天英院に指名されて江戸幕府8代将軍に就任した。紀州藩主時代の経験を活かし、自ら質素倹約、新田の開発、公事方御定書の制定、目安箱の設置などの享保の改革を行った。
破綻しかけていた幕府財政を再建したことから'''江戸幕府中興の祖'''と呼ばれる。また米相場の安定に苦心したことから'''米将軍'''('''八木将軍'''とも呼ばれる)ともいわれる。
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category: 徳川吉宗
DATE : 2007/02/17 (Sat)
DATE : 2007/02/17 (Sat)
貞享元年(1684年)10月21日、徳川御三家の紀州藩2代藩主・徳川光貞の4男として生まれる。母は巨勢六左衛門利清の娘・浄円院(於由利の方)。母の実家は、紀州の地主で、古代の名族・巨勢氏の末裔を称する素封家であった。しかし、紀州藩主の母・側室の実家としては、身分が違いすぎた(百姓の娘であったとも云われる)。和歌山城の大奥の湯殿番であった於由利の方は、徳川光貞の目に止まり、湯殿において、手がついたという伝説は有名である。母の身分に問題があったためか、幼年は家老の元で育てられ、やがて城中へ引き取られた。
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