category: 徳川吉宗
DATE : 2007/02/17 (Sat)
DATE : 2007/02/17 (Sat)
徳川吉宗は将軍に就任すると、第6代将軍・徳川家宣時代からの側用人であった甲府藩出身の間部詮房や新井白石を罷免し、側用人政治から将軍親政に復した。
また紀州藩主としての藩政の経験を活かし、水野忠之を老中に任命して財政再建を始める。新田開発の推進、足高の制の制定等の官僚制度改革、そしてその一環ともいえる大岡忠相の登用、また訴訟のスピードアップのため公事方御定書を制定しての司法制度改革、江戸町火消しを設置しての火事対策、悪化した幕府財政の立て直しなどの改革を図り、江戸三大改革のひとつである享保の改革を行った。また、徳川吉宗は大奥の整備、綱吉時代に禁止されていた鷹狩の復活、目安箱の設置による庶民の意見を政治へ反映、小石川養生所を設置しての医療政策、洋書輸入の一部解禁(のちの蘭学興隆の一因となる)といった改革も行う。第4代将軍・徳川家綱時代から続いていた学問を奨励する文治政治を見直し、武芸を奨励する武断政治を志した。
また徳川吉宗は徳川家康による御三家設置を参考にして、田安徳川家(田安家)、一橋徳川家(一橋家)、清水徳川家(清水家)からなる御三卿を設置する。
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